佐々木味津三
底本:「右門捕物帖(三)」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:kazuishi
佐々木味津三
2
行きついてみると、いかさま橋のたもとはわいわいと文字どおり老若男女入り交じって、さすがの日本橋も身動きができないほどにいっぱいの人だかりでした。無理もない。一つ朝に、同じ場所へ三人もの捨て子をするとは、なにごとも日の本一を誇る江戸においても、まさに古今未曽有(みぞう)前代未聞(みもん)のできごとだったからです。
「かわいそうにね」
「そうよ。おいらはさっきからもう腹がたってならねえんだ。産むってこたあねえのですよ。産むってこたあね。え? 棟梁(とうりょう)! そうじゃござんせんか。捨てるくらいなら、なにも手数をかけてわざわざと産むってこたあねえでしょう」
「おれに食ってかかったってしょうがねえじゃあねえか。文句があるなら親にいいなよ」
「いいてえのは山々だが、その親がいねえから、よけい腹がたつんですよ。ね、ご隠居! おたげえ人の親だが、いくら貧乏したっても、おいらは子を捨てる気にゃならねえんですよ。え? ご隠居。ご隠居さんはそう思いませんかい」
「さようさよう。しかればじゃ、世の戒めにと思ってな、さきほどから一首よもうと考えておるのじゃが、こんなのはどうかな。朝早く橋のたもとに来てみれば、捨て子がありけり気をつけろ――というのはいかがじゃな」
「あきれたもんだ。油が抜けると、じき年寄りというやつは、歌だの発句(ほっく)だのというからきれえですよ。でも、子どもはまったく罪がねえや。捨てられたとも知らねえで、にこにこしながら、あめをしゃぶっておりますぜ」
憤慨する者、同情する者、目にたもとをあててもらい泣きする女たち、――それらのささやきかわし、嘆きかわしているさまざまの物見高い群衆を押し分けながら、名人は面をかくすようにして近づくと、何をするにもまずひと調べしてからというように、いつものあの鋭いまなざしで、じろりじろりと残っているふたりの捨て子を見ながめました。――年のころはいずれも二つくらい。ひとりはどうやら女らしく、あとのひとりは伝六がいまだにまごまごして抱いているのと同様、まさしく男でした。しかるに、これが少しおかしいのです。十中十まで捨て子をするには、それが長い昔からのお定まりであるかのごとく、あとあとへの目印と証拠になるべきお守り札に、少なくも着替えの一、二枚は必ず添えてあるのが普通なのに、どうしたことか、いぶかしいその捨て子には、いっこうにそれらしい品が見当たらないのでした。のみならず、子どもそのものにも不思議な相違が見えました。左に寝かされている男の子のほうは、まるまると肥だちもよくて、ずきんから着物にいたるまでひと目に裕福な良家の生まれらしい節々が見えましたが、右に寝かされている女の子のほうは見るからにやせ細って、そのうえに着物も継ぎはぎだらけの洗いざらしなのです。
――せつな! 名人の目がきらりと光るや、同時にさえまさった声があいきょう者のところへ飛びました。
「抱いているその子も、いっしょに並べてみい!」
「え……?」
「おまえの抱いている赤ん坊も、そこへもういっぺん寝かせといってるんだよ」
「情なしだな。せっかく拾ったものを、また捨てるんですかい」
「文句をいうな。早くしたらいいじゃねえかよ」
「へいへい。お悪うござんした。並べましたよ。さあ、並べましたからね。お気のすむようになさいませよ。どうせ、あっしはいろいろと文句をいう変な野郎なんだからね。ええ、そうですとも」
「…………」
「ええ、ええ、どうせそうですよ。どうせあっしなんざあ人前でがみがみとしかられるようにできた野郎なんだからね。もっとしかりゃいいんだ。出世まえの男を人前でしかるのがりっぱなことなら、もっとしかりゃいいんですよ。――おやッ。はあてね。少し変だな。こうして並べてみると、三人の様子がおかしいじゃござんせんかい。いま捨てた子も、左の赤ん坊も、男の子はみんなまるまる太っていかにも金満家のぼっちゃまらしいが、それにひきかえまんなかの女の子ばかりは、やけに貧乏ったらしいじゃござんせんか。ね! ちょいと! どうしたんだろうね」
すねながら見比べているうちに、血のめぐりの大まかなあいきょう者もそのことがいぶかしく思われたとみえて、必死と首をひねりだしました。まことに、これは不審といわざるをえない。まんなかのやせ細った貧しげな赤ん坊から推断すると、世のつねの捨て子のごとく貧ゆえに育てかねて捨てたらしく思われるが、それにしては右と左のまるまる肥え太ったふたりの子どもが奇怪なのです。ただの捨て子か? それとも、何か秘密があるか?――。
「なぞを解くかぎはこれだな」
いうように名人はそろりそろりとあごをなでなで、何か眼(がん)のネタになるものはないかと、鋭く目を光らしました。巨細(こさい)に見調べると、まんなかの女の子の着物の継ぎはぎが、いかにもぶ細工なのです。しまがらのおそろしく違ったところがあるかと思えば、縫いめが曲がっていたり、ゆがんでいたり、はなはだしくふてぎわで、針の道を知らぬ男目から判断しても、おそらくこの繕い主はまだとしはのいかぬいたいけな子どもか、でなくばぶ器用な男手でやったものか、二つのうちのどちらかでした。しかも、さらに不審なのは、その子ばかりが敷き物を敷いているのです。その敷き物がまたただの敷き物ではなく、一枚は七つか八つの男物の、一枚は十か十一、二歳くらいの女物の、両方ともにあかじみたぼろぼろの子どもばんてんでした。いや、そればかりではない。よくよく見ると、そのはんてんの端にくるんでまくらがしてあるのでした。そのまくらもまたありきたりのまくらではなく、捨てるときにぬぎ捨てて、まにあわせのまくら代わりにしておいたらしい同じ子どものぞうりなのです。それも七、八つくらいと、十一、二歳くらいの大小二足。
「ふふうむな。どうやら、そろそろと――」
「ありがてえ。つきましたかい。え? ちょっと! もう眼(がん)がつきましたかい」
「やかましいや。黙ってろ」
しかりながら、片手を伸ばして取り出そうとしたとたん――、ぱさりとそのぞうりの間から地に落ちたいぶかしいひと品が、強く名人の目を射ぬきました。何のまじないに使ったものか、青竹にはさんだ祈願用の小さな畳紙(たとうがみ)です。のみならず、その小さな玉串(たまぐし)の表には、達者な筆で鬼子母神と書かれてあるのでした。
「はあてね。まるでこりゃなぞなぞの判じ物みてえじゃござんせんか。鬼子母神といや、昔から子どもの守り神と相場が決まってるんだが、それにしても、ぞうりの間に畳御幣をはさんでおくたア、ちっと風変わりじゃござんせんかい。まさかに、この赤ん坊が年ごろの娘になったら、ぞうり取りの嫁にしてくれろってえなぞじゃありますまいね」
「…………」
「え? ちょっと! ね、だんな! かなわねえな。すこうし眼(がん)がつきかけると、じきにむっつり屋の奥の手を出すんだからね。なにもあっしだって、ひとりごとをいうために生まれてきたんじゃねえんだ。ああでもねえ、こうでもねえと、いろいろやかましくしゃべっているうちにゃ、だんなの眼もはっきりついてくるだろうと思って、せいぜい年季を入れているんですよ。ね、ちょっと。ええ? だんな!」
うるさくいうのを、名人は柳に風と聞き流しながら、しきりと右の畳御幣を朝日にすかしつつ見ながめていましたが、ふとそのとき、ありありと目に映ったのは、折りたたんだ紙の中にも何か書いてあるらしい墨の跡でした。これは書いてあるのがあたりまえです。畳御幣は中にご立願(りゅうがん)の文句を書いてたたみ込むのが普通ですから、墨の跡の見えるのが当然ですが、しかしその書かれてあった祈願の文句なるものが、すこぶる不審でした。
「母(かあ)よ。みんなひもじくてならねえんだ。はやくかえってきてくんな」
そう書いてあるのです。それも、くねくねと曲がりくねった金くぎ流のおぼつかない文字で、一読肺腑(はいふ)をえぐるような悲しい訴えと祈願が、たどたどしげに書いてあるのでした。――せつな! 名人がさわやかに微笑すると、なに思ったか不意にきき尋ねました。
「みなの衆! 隠しだてしてはなりませぬぞ。この子のしゃぶっている棒あめは、どなたが与えたのじゃ」
「…………」
「だれぞかわいそうに思うて恵んだ者があるであろう。とがめるのではない。ちと必要があっておききしたいのじゃ。見れば、しゃぶらしてからまだ間もないようじゃが、どなたがお恵みなすったのじゃ」
「いえ、あの、それはだれも恵んだのではござりませぬ。初めからしゃぶっていたのでござります」
いっぱいの人だかりを押し分けながら進み出て、てがら顔に答えたのは、このあたりの者らしい町家のご新造でした。
「わたしがいちばん最初にこの捨て子を見つけた当人でござりますゆえよく存じておりますが、初めからまんなかのその子ばかりがしゃぶっておりましてござります」
「しかとさようか」
「あい、うそ偽りではござりませぬ。わたしが見つけたほんのすぐまえにでも与えたものとみえて、まだまるのままのを持ってでござんした」
聞くや同時です。とつぜん、ずばりと生きのいい右門流があいきょう者のところへ飛びました。
「それがわかりゃ、もうぞうさはあるめえ。はだしではんてんを着ていねえ子どもがふたり、どこかそこらの人込みの中に隠れているにちげえあるめえから、手分けしておまえもいっしょに捜しな」